心臓の内側

 目の前の物事、現象、人物に対して、それが心臓の内側にあるかどうか、よく自分に問う。実際心臓の内側に血液以外あっては困るのだが、自分にとってそれがどの程度受け入れられるものであるかを考えた時、最も信用できる、無条件で了解できるものをそのような言葉で形容してしまう。

 

 もともと僕は拘りの強い方に入ると思う。だから意識的に関わる人・物を増やそうとした時期もあったし、逆に世界を広げるのに疲れて、努力せず維持できる範囲だけの人間関係で生きていることもある。そういう落ち着いた状況で手の届く人、物が心臓の内側にある。ほんとは多少努力して、自分とは幾らか違う領域の人とのパスを繋ぎながら生きていくのがいいのだが。

 まあ、要するに、心臓の内側に入れてしまった人間と諍うのは、辛いのだ。たまには喧嘩してみてもっと相手を知るのは、いいことかもだけど。辛いから内側に人を入れたがらなかったのが数年前までの自分で、辛いことがあってもどうにかしてやろうという意思を持てたのが、今年のことだ。