頭痛陣

 ブログタイトルとなっているこのよく分からない言葉、由来は高校時代に遡る。といって何か事件があったとか、謂れがあるとかではない。文章を書くならば、一日の疲れで心地よい頭痛がするような深夜、自室でのんびりと筆を執りたい…当時そう思うことがあったのだ。徒然草を原文で少し読み、あることないこと重要なことどうでもいいこと、中身は何であれ筆進むまま我思うままに書いてみたいな、と。

 さて、陣はどこから来たのだろう。現実、社会、あるいは自分に戦うという意味でも込めていたのだろうか。それとも自分自身に不安定さを感じていて、そのイメージを込めるため仮住まいよりもさらに刹那的なものを居場所にしたのかもしれない。ただ厨二病が炸裂していただけということも考えられるが…

貧しき人びと

ドストエフスキー

 ごく初期の作品。地の文はなく、男女二人の文通により話が展開する。手紙から実際の出来事や心情を想像する楽しさがある。やり取りに慣れてきて硬い感じのした文面が柔らかくなり、それまででは言えなかったこともだんだん伝え合えるようになる。敢えて言わないようにしていた本心が文章の間から透けてくる。

 手探りで書いていた手紙だけれど、今は自分なりのスタイルが出来て来ましたと言うくだりが好きだ。